Updated Date: 2019-01-17 10:04:37

奇跡の一本松

聖徳大学短期大学部総合文化学科 准教授 正道寺 康子

著者プロフィール
新潟大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は日本古典文学(王朝物語)。主要著書・論文に、『うつほ物語引用漢籍注疏 洞中最秘鈔』(共著 新典社 2005年)、「『源氏物語』「森かと見ゆる木の下」の浮舟―樹木怪異譚および樹下における儀礼との関連-」(単著 『中日文化論叢』第27号 2010年)などがある。

斉明天皇四(六五八)年十一月十一日、謀反の罪に問われた有間皇子は、紀伊国の藤白坂で絞殺された。その時、わずか十九歳。次の歌は、死の直前、斉明天皇の行幸先である牟婁(むろ)の湯に護送される途中で詠んだ歌だとされる。

岩代(いはしろ)の 浜松が()を 引き結び ま(さき)くあらば またかへり見む

(岩代の浜の松の枝と枝とを引き結んで、無事であったならば、また立ち返って見よう。)

当時、旅の安全を祈って、松の枝と枝とを紐などで結ぶ「結び松」という風習があった。結ぶことで、そこに魂を封じ込め、それとの再会を祈ったのである。「松」は「待つ」に通じることから再会の象徴であり、常緑樹であることから永遠の象徴でもあった。

有間皇子は、再びこの結び松を見ることがあったのだろうか。皇子の悲劇的な最期と結び松の歌は伝説化し、多くの人々の心をとらえた。有間皇子の歌から約四十三年後、長意吉麻呂が皇子の死を悼み、次のような歌を追和している。

(ながの)(いみ)()()()麻呂(まろ)、結び松を見て哀咽あいえつする歌二首

岩代の 崖の松が枝 結びけむ 人はかへりて また見けむかも

(岩代の崖の松の枝を結んだという有間皇子は、立ち帰って再び結び松を見たであろうか。)

岩代の 野中(のなか)に立てる 結び松 心も解けず (いにしへ)思ほゆ

(岩代の野の中に立つ結び松。その結び目のように心も解けず、昔のことが思われる。)

一首目は崖に聳える結び松。有間皇子が結んだものがそのまま残っていたと考えるよりは、意吉麻呂の幻視か、あるいは後世の人が皇子を思い遣って結び松をしたのであろう。二首目は、一首目とは異なる方向から眺めた結び松の歌であろうか。「野」は台地の意である。松林であろうから、何本も松が立ち並んでいたものと思われる。しかしながら、意吉麻呂の目に映っていたのは、崖に聳える一本の結び松だけではなかったか。あたかも大地の中央に、天まで聳える「宇宙樹」のように。

この光景がなぜか岩手県陸前高田市の、あの「奇跡の松」と重なるのである。景勝地「高田松原」の松は約七万本あったそうだが、三月十一日の震災や津波で皆倒され、奇跡的にたった一本だけが残ったという。推定樹齢二七〇~二八〇年の松だとされる。

奇跡の一本松は、ほかの松が津波に押し倒され流されても恨むことなく、天に向かってただじっと立っていた。しかも、自らの命を絶つこともなく、朽ち果てるその瞬間まで生ききろうとするに違いない。松は枯れても、土に還り大地の養分となって、また新たな生命を生み出してくれる。そんな松の姿に、生き残った自分の姿を重ね合わせた人も多かったのではないか。

ミルチャ・エリアーデによると、宇宙樹は大地の中央にあり、天・地・地下を結びつけることから、三つの空間の行き交いが可能になるところであるという。しかも、中心は一切の実在の源泉であり、創造が開始されうる唯一の空間である、とも。奇跡の一本松も生命の根源であり、創造が可能な場所であると考えるなら、きっと、ここからまた新たな一歩を踏み出せる。

奇跡の松の生命力にあやかりたいと、その松から接ぎ木した百本のうち、四本が新芽を出した。三年後には、五十センチの苗木が期待できる(『読売新聞』2011年6月15日朝刊)。奇跡の松は、地元の若者たちによって、「がんばっぺし」という言葉とともに、Tシャツのデザインにもなった(同・2011年6月2日朝刊)。流された松だって、細かく切り分けられ薪と化した(同・2011年6月5日朝刊)。

宇宙樹の話を持ち出すまでもなく、陸前高田市の人々は樹とともに生きている。たとえ故郷を離れることになったとしても、たとえ奇跡の松が塩害によって枯れたとしても、「がんばっぺし」という言葉や陸前高田の空の色、空気の味・匂いとともに、天に向かって孤高に立つ奇跡の松の姿が明日を生き抜く力を授けてくれ、生涯を支えてくれるに違いない。

被災していない自分に出来ることはたかが知れているし、所詮、「上から目線」「東京目線」での物言いでしかない。それでも、敢えて出来ることを言葉にするとしたら、それは、新潟県中越地震や能登半島地震の悲しい記憶とともに、東日本大震災の光景を目に焼きつけて忘れないこと。そして、地震の被害に苦しむ地域出身の学生や卒業生たちとたくさんの本を読み、ともに学び、喜怒哀楽を分かち合い、同じ時間を生きていくことだと考えている。お互いに支えあう「希望の松」の一枝になれたら、と思う。[2011年6月21日]

【追記】最近、高田松原では、「奇跡の一本松」以外にも、枯れたと思われていた松が二本、生きていることが判明した。約五~六割の確率で再生できるのではないかと言われている(『読売新聞』2011年6月20日朝刊)。[2011年6月22日]

岩手県大槌町沖の蓬莱島のアカマツは、津波で枯れかけたが、栄養剤によって、8月6日に新芽が確認されたという(『読売新聞』2011年8月9日朝刊)。樹木の生命力の強さには、ただただ敬服するばかりである。[2011年8月19日]

その後、奇跡の一本松は海水で根が腐り、再生不可能として保護作業が打ち切られた(『読売新聞』2011年12月4日朝刊)。その一方で、住友林業は、奇跡の一本松の種から18本、接ぎ木から3本の苗木を育てることに成功した。種から発育した苗木は、高さ5センチに成長している(『読売新聞』2011年12月15日朝刊)。「再生不可能」は人間が勝手に決めたこと。奇跡の一本松は、今日も凛と立っている。中秋の名月、皆既月食、クリスマス、そして新年と、移りゆく季節の中で、人々は生きる支えを求めて奇跡の一本松を訪れ、この木に祈りを捧げている。[2012年1月3日]

昨年11月、新井満氏の『希望の木』(大和出版)が出版になった。奇跡の一本松の写真詩集である。美しい写真と美しい言葉で、一本松の物語が綴られている。新井氏の「生きよう」というメッセージが心に響いてくる作品である。

Editor: 正道寺 康子
Updated Date: 2012-01-03 19:51:40