Updated Date: 2017-02-02 20:36:13

震災復興のまちづくりに求められるものとは

聖徳大学短期大学部総合文化学科 教授 不破 章夫

著者プロフィール
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学博士後期課程満期退学。
早稲田大学非常勤講師(早稲田大学専門学校で図学、設計製図を担当)を経て日揮(株)へ。
その後、設計事務所ガイア空間工房を主宰。公共施設、住宅の設計および自治体のまちづくり計画などを行う。
平成7年より聖徳大学短期大学部助教授に就任、現在は教授として現職。
専門は建築とまちづくり。
主な作品:浅原六郎記念館(中部建設業協会賞)人間性回復センター(自力建設)、
浦川原村「ゆあみ」公園・施設、横浜みなと未来博覧会SK駅舎、
大島町自光寺川砂防ダムモデル事業(競技設計最優秀案)
窓明の湯(温泉施設 競技設計最優秀案)
主な著書:街の謎解きブック(共著)

甚大な被害を招いた三陸海岸の特殊地形

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖巨大地震は、とりわけ三陸の漁港や町に壊滅的とも言える津波被害をもたらした。リアス式海岸とも呼ばれる三陸海岸の地形は、津波の被害を受けやすく、古くは1896年の明治三陸地震、最近では1960年のチリ地震による津波被害はまだ記憶に新しいところである。V字型に広がった湾口から狭い湾奥へと水位を上げながら、山と山の谷間に広がる僅かばかりの平野部を河口から一気に遡上し、内陸部まで大きなダメージを与えたのである。例えば宮古の漁港では津波高7.3mだが、遡上高さは38.9mに達している。

職住近接を可能にする、生産・居住施設を備えた避難ビル

主に漁業を生業とする三陸海岸地域は、東京のような大都市と比べ、コミュニティが遥かに濃密であり、代々の付き合いや土地への愛着が非常に強い。震災復興のまちづくりは、先ずこのコミュニティの存続をベースにしたものであることが求められよう。例え以前とは形が変わろうとも、コミュニティが壊されるような計画案であってはならないと考える。その上で土地利用に関わる復興への道筋には幾つかの方法があろう。既に被災された自治体からも提案されているが、一つは、山を切り崩した高台に居住施設を移し、低地部は残土でかさ上げするとともに、生産施設等を配置し、さらに双方のアクセスを考えたインフラ整備をする方法。あるいは、漁港付近の低地に避難ビルや防浪ビルとも呼ばれる複合居住施設を建設するもの。これは、1~3階に駐車場や魚市場や加工場などの生産施設を置き、3、4階以上を事務所や集合住宅とすることで職住近接を可能にするものである。大型の非常階段を設置し、人々が津波接近時に高層階へ避難できるようにする。これらの安全な拠点施設を町の中に配置するという方法である。

100年、200年のスパンで考える

例えば、漁港に新たな防潮堤を造る必要はあるが、これほどの津波を完全に防ぐ堤の建設はとても難しいし、現実的とは言えない。経済がそれを許さないであろう事は容易に想像がつく。建築技術は耐震から免震、制震と進化を続け、今後、さらに高度な技術が開発される余地はあるものの、数百年から千年に一回の地震や津波に耐えられる建物や町づくりが可能かどうかどうかといえば、首を傾げざるを得ない。どこまで経済的にそれが出来うるかといった視点も求められるからである。巨大津波を受けても命は助かる、最小限の生活施設を担保できるといった考え方が現実的だろう。復旧は急がれるが、しかし100年、200年のスパンで復興へのまちづくりを考えたいと思うし、そうあらねばと思う。

今こそ、大胆かつ強力な政治主導が必要

今回の津波による被害はあまりにも甚大で、一世代だけでは立ち直れないかもしれない。明治の三陸大津波でも、遡上高さ38.2mを記録しているが、当時の三陸海岸地域は現在ほど都市化していない。明治期の津波とは被害規模の額が天文学的に違う。また、今後の復興計画におけるまちづくりとして、高台への住居移転や生産、居住施設を備えた避難ビルの建設にしても、土地はみな私有物である。これらの土地を国家がいったん全て買い上げる、数十年の期間、国や地方自治体が土地を借り上げる、新たに建設した居住施設と震災以前に居住していた土地資産の等価交換を進める、といった大胆な施策を講じなければならない。しかしどのようなプランを提案しようとも、これを強力に推進していく政治が機能しなければ全ては絵に描いた餅となってしまう。今こそ、大胆かつ強力な政治主導が求められている。

Editor: 正道寺 康子
Updated Date: 2011-06-29 18:13:30